こんにちは、灯子です💛
先日、こんな会話を交わしている人がいました。
A:「ちっとも面白いことないわ」
B:「本当に、何にも面白いことないね」
年齢的に、わたしとおそらくさほど変わらない人たちの会話。
聞いていて
とっても、もったいないって思いました。
思考が先、現実はあと
わたしはミナミAアシュタールさんのファンです。
彼らに
「思考が先、現実はあと」と教えてもらっています。
これは、自分が先に考えていたことが、実現するということです(とわたしは解釈しています)。
例えば、今日のお昼は天ぷらうどんを食べたいなって思ったら
あなたはどうしますか?
多分
うどん屋さんへ行って、天ぷらうどんを注文するか、自宅で自分で天ぷらうどんを作るかするでしょう。
(もちろん、やっぱりやーめた!という選択もありますが)
うどんを食べたい(という思考が先)→ うどん屋さんへ行く(行動or現実はあと)
という流れになります。
では、先程の人たちのように
「何にも面白いことないわ」って思考するということは
「何も面白くない現実」を自らが作りだしてしまう・・・ということにならないでしょうか?
わたしたちには自分自身で好きな現実を創造できる力がある
わたしたちには自分自身で好きな現実を創造できる力がある
とミナミAアシュタールさんは言います。
今はそのことを忘れてしまっているだけ。
(わたしたちは、否定的なことを考えるのがとても上手だそうです。それは支配者層たちによるミスリードが関係しているそうです。)
ということは
「何も面白くない現実」を作り出すこともできれば、「面白い現実」を作り出すことも当然できるということですよね。
わたしがミナミAアシュタールさんの情報に初めて出会ったのは、コロナパンデミックのころだから、もう4年ぐらいになるけど、
その間、彼らはず~っと「思考が先、現実はあと」ということを言い続けてきました。
(実際のところ、彼らの活動期間は12~13年ほどらしいのですが、その間もず~っと言い続けてきているそうです。)
最近、やっとわたしも「思考が先、現実はあと」を日ごろから意識できるようになってきました。
周りに流されるのではなく、
自分はどうしたい?何がしたい?
そう考えながら、次の行動を決めるようになりました。
結果、今のわたしは
あれやこれやとやりたいことが一杯で、ちょっとずつ、やりたいことを実行しているから
面白くない現実とはほぼほぼ無縁。
自分の人生がつまらないものだなんて思うこともない。
たまに、やりすぎて疲れることもあるけどね。
面白いことの連続だし、日々、感謝の連続。
だから
「何も面白いことない」って考えるなんて、もったいないな~と思うのです。
(厳密にいえば、面白くない現実を選択するのは個々人の自由ですから、それを関係のない私がもったいないと思うことも変な話かもしれませんが)
難しいことはありません。
「思考が先、現実はあと」
これを意識するだけでいいのです。
アシュタールのメッセージには
自分の望む生活の現実化の方法を具体的に教えてくれています。
ご興味ある方は、ぜひご覧ください。
長い間、
わたしたちは、一人では何もできないと思わされてきました。
でも、その考えはもう、うち破って捨ててしまいましょう(笑)
そして、思いっきり人生を楽しみましょうね。
今日もここまで、お付き合いくださりありがとうございました
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