こんにちは、灯子です。
6月になると届く分厚い封筒。
それはーー
固定資産税、住民税などの「税金の支払い書」。
え、こんなに一気に?
毎年のこととはいえ、憂うつになります。
ちょうど最近、知人が家を買ったのですが、
そのときも「税金がすごいんだよね」という話になりました。
不動産取得税、消費税、そして毎年の固定資産税。
家は“生きるために必要な場所”なのに、 どうしてこんなに税金が多いのだろう、と。
そんな話をしていたら、
自分の中にも「正直、払いたくないな」という気持ちが湧いてきました。
なぜなら、税金が本当に活かされているのか、
無駄遣いされているのではないかーー
そう疑問に思う場面が多いからです。
そこで今回は、
改めて「今の税制ってどうなっているんだろう?」と、
自分の素直な疑問を書いてみることにしました。
■ 複雑すぎる税制
わたしは、FP2級の資格を取るために、
税金の勉強もひと通りしました。
その時に感じたことは、ただ一つ。
「複雑すぎる……!」
覚えてもすぐに忘れてしまうし、 制度はどんどん変わっていくし、
正直、ついていけない!
その結果、今ではほとんど忘れてしまいました(笑)
税金は、子どもから高齢者まで、
あまねく国民から徴収されています。
であれば、本来は 誰でもが理解できる制度 であるべき。
なのに現実は、
- 専門家でないとわからない。
- “制度を知っている人だけが得をする”
- “知らない人は気づかないまま損をする”
そんな構造になってしまっている。
このことに、わたしはずっと
「おかしいな」と疑問を感じ続けてきたのです。
■ 生活必需品にまで税金
次に、税制について考えていると、どうしても引っかかるのが、
生活に絶対必要なものにまで税金がかかっている ということです。
水。
電気。
ガス。
これらは、生きていくうえで欠かせないものです。
それなのに、すべて消費税10%。
「贅沢品」ではなく、
「生きるために必要なもの」なのに、です。
水道料金に消費税がかかる理由として、
「飲料以外にも使うから」という説明を見たことがあります。
でも、庶民の感覚としては、
飲料以外に使うということは、
それだけ生活に必要だということ ではないでしょうか。
お風呂に入るのも、
洗濯をするのも、
料理をするのも、
全部“生きるための行為”。
そこに10%の税金がかかるのは、
どうしても腑に落ちません。
しかも、軽減税率の対象には「定期購読の新聞」が入っているのに、
水道は軽減されない。
この点について、AIのCopilotに聞いてみました。
すると
「新聞が軽減されて水道が軽減されないのは、
論理的整合性が取れない」
という返事が返ってきました。
庶民の感覚と、
制度としての線引きが、
どこか噛み合っていないように感じるのです。
※参考:消費税の仕組みについては、国税庁の公式ページをご覧ください。
(国税庁|消費税のしくみ)
■ 不動産にかかる三重の税
知人が家を買ったとき、
「税金がすごいんだよね」という話になりました。
そのとき改めて思ったのが、
家には三重の税がかかっている ということです。
まず、家を買うときにかかる 不動産取得税。
さらに、建物部分には 消費税。
そして、家を持っている限り、毎年かかり続ける 固定資産税。
家は“生きるために必要な場所”です。
贅沢品でも、投資目的でもなく、
ただ「暮らすため」に必要なもの。
それなのに、取得時・購入時・保有時のすべてに税金がかかる。
庶民の感覚としては、どうしても疑問が残ります。
しかも固定資産税は、
公示価格が上がれば税額も上がる仕組み。
家が古くなって価値が下がっているはずなのに、
周辺の地価が上がっただけで税金が増えることもあります。
「家は生活の基盤なのに、
どうしてこんなに負担が重いのだろう」
知人の話を聞きながら、
わたし自身もそう感じずにはいられませんでした。
■ 給付金の非効率
税金について考えていると、もうひとつ気になることがあります。
それは 給付金の仕組みが、どう考えても非効率ではないか という点です。
コロナ以降、様々な給付金が支給されてきました。
そして、現在は物価高対策として給付金を支給する自治体が多いようです。
給付金は「国民の生活を支えるため」と言われていますが、
実際には、配るために莫大なコストがかかっています。
申請書を作る。
封筒を送る。
審査をする。
振り込み処理をする。
問い合わせ対応をする。
システムを改修する。
これらすべてに税金が使われています。
つまり、
“配るためにまずお金を使っている” のです。
「そんなに手間とお金をかけるくらいなら、
最初から税金を安くしてくれたほうが無駄がないのでは?」
そう感じるのも不思議ではありません。
しかも、給付金は一時的なものが多く、
生活の根本的な負担が軽くなるわけではありません。
- 水道光熱費は上がり続ける
- 食料品も値上がり
- 税金も毎年のように増える
そんな中で、
「一度きりの給付金です」と言われても、
庶民の生活は根本的には変わりません。
本当に必要なのは、
“取ってから配る”という仕組みではなく、
最初から庶民の負担を軽くすること
ではないでしょうか。
■ 普通に暮らしたいだけ
ここまで税金についていろいろ考えてきましたが、
結局のところ、わたしが言いたいのはとてもシンプルです。
わたしたちは、ただ“普通に暮らしたいだけ”なんです。
贅沢をしたいわけではありません。
高級品を買いたいわけでもありません。
- 水道光熱費を気にしすぎずに生活したい
- 食料品の値上がりに怯えずに買い物したい
- 家に住むだけで重い税金を背負いたくない
- 給付金に頼らなくても暮らせる日常がほしい
本当に、それだけなんです。
「普通に暮らす」というのは、
決して高いハードルではないはずなのに、
今の税制を見ていると、
その“普通”がどんどん難しくなっているように感じます。
働いて、税金を払って、
まじめに生活している庶民が、
なぜこんなに苦しくなるのか。
なぜ「普通に暮らす」ことが、
こんなにも難しい時代になってしまったのか。
そんな疑問が、ずっと心の中にあります。
■ 税金は、本来“国民からの預かり金”
そしてもう一つ、
忘れてはいけない大切なことがあります。
税金は、本来“国民からの預かり金”だということ。
国が自由に使っていいお金ではありません。
わたしたち庶民が、働いて得た収入の一部を、
「必要だから」という理由で預けているだけのものです。
つまり、
税金の本当の所有者は国ではなく、国民。
だからこそ、その使い道は慎重であるべきだし、
庶民の生活を脅かすような形で徴収されるのは、
本来おかしいはずなのです。
税金は、国民から預かったお金を
“国民のために使う”という約束のもとに成り立っています。
その原点を忘れてしまうと、
税金はただの「取り立て」になってしまいます。
■ 国が向いている方向への違和感
最近、ふと思うことがあります。
国は本来、国民の生活を守るために存在しているはずなのに、
今の日本を見ていると、 その方向がどこか違うほうへ向いているように感じるのです。
防衛費が増え、緊張が高まるような政策が続き、
まるで「戦争も辞さない」という空気さえ 漂っているように思える瞬間があります。
もちろん、政府が戦争を望んでいると 断定できるわけではありません。
ただ、歴史を振り返れば、
戦争が一部の人にとって大きな利益を生んできたという事実もあります。
国民はだれも戦争など望んでいません。
だからこそ、 「国は本当に国民のほうを向いているのだろうか」
そんな疑問が、わたしの頭の中を巡るのです。
■ 憲法25条という原点
税金についていろいろ考えていたら、
この言葉が思い浮かびました。
すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。
――日本国憲法25条。
この一文は、わたしたち庶民にとって、
とても大切な“土台”だと思うのです。
「健康で文化的な最低限度の生活」。
これは、特別な贅沢を指しているわけではありません。
水道光熱費を削ることなく
美味しいものを食べ
安心して住み続けることができる。
そしてもう一つ、忘れてはいけないのは、
“楽しく暮らせる”ということ。
憲法25条にある「文化的」とは“楽しく暮らすこと”も含まれているのです。
ただ、食べて寝て、お金を稼ぐことだけに精一杯で、
こころが擦り減っていく生活ではありません。
教育や教養に触れ、趣味を楽しみ、 心に少しの余裕を持って生きられること。
それもまた、人間らしい普通の暮らしの一部です。
こうした“普通の暮らし”が守られること。
それこそが、憲法25条が示す「最低限度の生活」ではないでしょうか。
ところが今の税制を見ていると、
その“最低限度”がどんどん遠ざかっているように感じます。
庶民が普通に暮らすために必要なものにまで税金がかかり、
家を持つだけで三重の税がのしかかり、
給付金は一時しのぎ。
本来、国は憲法に書かれているように
「すべての生活部面について、社会福祉・社会保障の向上に努める」
べきなのに、
むしろ、わたしたち庶民からその”最低限度”の生活を奪おうとしているかのようにも思えてしまいます。
すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。
わたしたちは、この原点を忘れてはいけない。
そして、国もまた、この原点に立ち返る必要があるのではないか。
そう思えてなりません。
■ おわりに 〜ただ、普通に楽しく暮らしたいだけ〜
ここまで、税金について思っていることを
素直に書いてきました。
税金の制度は複雑で、
知っている人だけが得をして、
知らない人は気づかないまま損をする。
という矛盾。
さらに、
税金が庶民に重くのしかかり、その生活を脅かしているという現実。
そんな現状に、
ずっと違和感を抱いてきました。
でも、わたしたちが望んでいるのは
決して大きなことではありません。
ただ、普通に安心して、楽しく暮らしたいだけ。
それは、憲法25条が示す
「健康で文化的な最低限度の生活」そのものです。
わたしたちには、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利があるのです。
その権利を脅かしかねない税制、
そして、「国」の存在意義に関して
改めて考え直す時期に来ているのではないか…
そんな思いを込めて、
今日の記事を書きました。
📌関連記事



コメント