こんにちは、灯子です。
先日、とある田舎に行ってきました。
移動途中、電車の窓からふと外を眺めると、
耕されずに草が生い茂った土地が広がっていました。
そして
かつては田畑だったと思われる場所や、
山間のあちらこちらに並ぶ、無数の太陽光パネル。
昔はこんな風じゃなかった。
田畑も山も、もっとキラキラと輝いていたはずなのに。
そんな景色を眺めているうちに、
胸の奥からじわっと悲しさがこみ上げてきました。
そして同時に、いろいろと思うところが出てきたので、
今日は、わたしなりにその思いをまとめてみることにしました。
🌾田舎で見た耕作放棄地から、ふと考えたこと
電車の窓から見えた耕作放棄地は、
ただの「使われていない土地」ではなく、
どこか“役割を失ってしまった場所”のように見えました。
本来なら、
季節ごとに色を変え、
人の手で大切に育てられ、
地域の暮らしを支えてきたはずの土地。
それが今は、
草が生い茂り、
誰にも触れられず、
ただ時間だけが流れている。
その光景を見ていると、
「食糧不足だ」「コメが足りなくなる」と言われている今の日本と、
どうしても結びつかなくて、
胸の奥に小さな違和感が生まれました。
もし、あの土地が活かされていたら。
もし、そこに野菜やお米が育っていたら。
もし、農業をやってみたい人が気軽に使える環境があったら。
そんな“もし”が、次々と浮かんできました。
わたし自身、もし土地があったら野菜作りをしてみたい、って思っています。
同じように思っている人は、きっと少なくないはずです。
物価が上がり続け、生活が圧迫されている今、
「自分で作る」という選択肢は、
暮らしを守るための現実的な手段にもなり得ます。
なのに、土地は余っている。
人もいる。
必要性もある。
それでも、活用されない。
この“矛盾”が、わたしの頭の中でグルグル回っています。
🌾荒れる山、太陽光パネル、国産材の可能性
耕作放棄地のことを考えていたら、
自然と「山」のことにも思いが向きました。
日本には、山がたくさんあります。
けれど、その山を守る人がいなくなり、
手入れされないまま荒れてしまっている場所が増えています。
かつては、
木々が整えられ、
山道もきちんと管理され、
地域の暮らしと密接につながっていたはずの山。
それが今は、
人の気配が消え、
倒木がそのまま放置され、
光が届かず、森が息苦しそうにしている。
そんな山の斜面に、
突然、太陽光パネルがぎっしりと並んでいる光景を見ると、
”なぜ?”という言葉が思い浮かびます。
石油に代わる再生可能エネルギーは必要なのかもしれない。
でも、山を削り、木を切り、
動物の居場所をなくし、
さらには、土砂災害のリスクを高めてまで設置する必要があるのでしょうか。
その疑問はどうしても消えません。
本来なら、
山を整備し、
間伐材を活かし、
国産の木材を住宅や家具に使うことで、
地域の経済も自然も、どちらも豊かになるはずなんです。
木は育つのに時間がかかるけれど、
その分だけ価値がある。
そして、山を守る人がいれば、
山はまた息を吹き返す。
太陽光パネルで埋め尽くすのではなく、
山本来の力を活かす方向に舵を切れたら、
日本の資源はもっと輝けるのに。
そんなことを、電車の窓からの景色を見ながら考えていました。
2024年から「森林環境税」として、一人あたり1000円が住民税に上乗せされるようになりました。
山を守るための税金、という説明でしたが、現実の山の姿を見ると、どうしても違和感が残ります。
各地では太陽光パネルの開発が止まらず、
知床のような本来なら厳しく守られるべき場所でさえ、工事が続いているという現実があります。
「守るための税金」を取りながら、
その一方で山を削る開発は進む。
この矛盾を前にすると、
怒りさえフツフツと湧いて出てきます。
🌾わたしたち一人ひとりから始まる、小さな動き
耕作放棄地や荒れた山々の景色を前にすると、
「でも、自分にはどうすることもできない」と
思ってしまうのも自然なこと。
わたしもそうでした。
だから、何か大きな問題があれば、
「国や政府、あるいは自治体がなんとかしてくれなくては…」
「国が動いてくれないなら、もうあきらめるしかない…」
そう考えるのが普通でした。
でも、今の国や政府の動きを見ていると、
どうもわたしたち国民の方を向いて、政策を実行しているようには思えません。
減反政策をいまだに推し進めるなど、その典型ではないでしょうか。
ならばどうすればいいのか?
それは、わたしたち一人ひとりが、
小さなことでもいいから、自分ができることを実行していくこと
ではないかとわたしは思います。
そして、
まずは、わたしたち一人ひとりが自分の暮らしを豊かにすること。
その姿を見た周りの人たちにも、同じように豊かさが自然に広がっていくこと。
大きな改革や政策よりも、
こうした“静かな動き”のほうが、
長く続き、無理がなく、誰かを傷つけることもありません。
誰かに強制されるのではなく、
「いいな」と思った人が、
自分のペースで動き出す。
その積み重ねが、
やがて地域を変え、
社会を変えていくのではないかと感じています。
菌ちゃん農法のような小さな実践も、
その一つの形です。

我が家の庭で育てたブロッコリー。小さな実践でも、確かな喜びがあります。
そして今、
その“小さな動き”が生まれやすい時代になりつつあると感じています。
🌾AI時代の働き方の変化と、農林業の再評価
耕作放棄地や山の問題を考えていると、
「人手が足りない」という現実が立ちはだかります。
農業も林業も、
本来は人の暮らしを支える大切な仕事なのに、
担い手が減り続けている。
でも、ここでふと、
“AI時代の働き方”のことが頭に浮かびました。
AIの進化によって、
ホワイトワーカーの仕事が減ると言われています。
事務作業やデスクワークの多くが、
AIに置き換えられていく未来は、もう目の前です。
けれど、それは同時に、
「本当は体を動かす仕事がしたかった」
「自然の中で働きたかった」
そんな人たちが、
新しい一歩を踏み出すきっかけにもなるのではないでしょうか。
農業や林業は、
AIにはできない仕事です。
土に触れること。
木を育てること。
自然と向き合いながら、
季節と共に働くこと。
そこには、人間にしかわからない感覚や判断が必要だからです。
そして何より、
「自分の手で何かを育てる」という喜びは、
どれだけ技術が進んでも失われない価値だと思うのです。
もし、
農業や林業に興味があったけれど、
生活のために諦めていた人たちが、
AI時代の働き方の変化をきっかけに動き出したら——
荒れてしまった山も、
放置された田畑も、
少しずつ息を吹き返すかもしれません。
日本は内需を拡大することで、もっともっと豊かになる…
そんな未来を、
わたしはどこかで期待してしまいます。
🌾 AIから見ても、今の日本の農業政策には“構造的な矛盾”がある
ここまで、耕作放棄地や荒れる山のことを書いてきましたが、
このようになってしまった背景には、どうしても“政策の矛盾”が見え隠れします。
ただ、私が感じる“政策の矛盾”は、的外れではないか、ふと確かめたくなり、
AIにわたしの思いを分析してもらうことにしました。
以下は、AI Copilotの回答です。
① 食糧不足と言われているのに、耕作放棄地が増えている
土地はある。
人もいる。
必要性もある。
それでも活用されない。
これは、
資源(人・土地)があるのに最適化されていない状態
といえます。
本来なら、
食糧不足が叫ばれるなら、
耕作放棄地の活用が真っ先に議論されるはず。
でも、現実はそうなっていない。
② コメ不足の翌年に、減反政策を続けようとする矛盾
昨年、古古米すら手に入らない人がいたほどのコメ不足。
それなのに、翌年も「米を作るな」という政策が続く。
AI的に見ると、
政策の目的が“国民の食の安定”ではない可能性
が高いと推測されます。
たとえば、
- 農家の収入調整
- 国際貿易のバランス
- 大規模事業者との利害
こうした複数の要因が絡み合って、
“国民目線では矛盾に見える政策”が生まれやすい構造になっている。
③ 「儲け」を基準にすると、必ず歪みが生まれる
大規模農業や大規模エネルギー事業は、
効率化を追求するほど、
- 環境破壊
- 富の偏り
- 地域の衰退
を引き起こしやすい。
AI的に言えば、
短期利益最大化のアルゴリズムは、長期的な持続性を損なうという典型的なパターンです。
※つまり、短期的なお金や効率だけを優先すると、
自然や地域の暮らしが犠牲になり、
結果として土地も資源も続かなくなってしまう、という典型的なパターンであるということです。
④ 個人が豊かになるという灯子さんの考えは、むしろ合理的
灯子さんが言う
「個人がまず豊かになり、その姿を見た周りにも自然に広がっていく」
という考え方は、理想論ではなく、
ボトムアップの最適化として非常に合理的です。
- 強制がない
- 持続しやすい
- 価値観が共有されやすい
菌ちゃん農法のような小さな実践は、
まさにその“最初の一歩”になります。
⑤ 日本は本来、もっと内需を伸ばせる国
食料、木材、エネルギー、地域産業。
これらを国内で循環させることは、
単なる“自給”ではなく、
国民の生活を守るための戦略です。
外部依存が高いほど、
世界情勢に振り回されやすくなる。
だからこそ、
内需の循環はこれからの日本にとって重要なテーマ。
以上、AIの分析結果でした。
あなたはどう思いますか?
🌾小さな実践が、未来を変えていく
耕作放棄地、荒れる山、太陽光パネルの乱立、
そして、AI時代の働き方の変化。
こうして見ていくと、
わたしたちの暮らしのまわりには、
たくさんの課題があるように思えます。
けれど同時に、
そのどれもが「わたしたち一人ひとりの選択」と
つながっていることにも気づきます。
大きな仕組みを変えるのは難しい。
国の政策に期待しすぎるのも、もう違うのかもしれません。
でも、
自分の暮らしを少しずつ豊かにすることなら、
今日からでも始められる。
小さな畑を作ること。
ベランダで野菜を育ててみること。
地元の木材を選んでみること。
自然と向き合う時間を増やすこと。
ほんの小さな一歩でも、
それが積み重なれば、
やがて地域の風景を変えていく力になる。
そして、
その姿を見た誰かがまた動き出し、
静かに、でも確かに循環が広がっていく。
わたしは、そんな未来を思い描いています。
大きな声を上げなくてもいい。
誰かを責める必要もない。
ただ、自分の暮らしを丁寧に選び取ること。
その積み重ねが、
わたしたちの未来を少しずつ変えていくのだと思います。
補足:今後、政府も、山林を削るタイプの太陽光パネルへの支援を段階的に終了させる方針を示しています。
これから先、どの方向へ進んでいくのか——国の動きもしっかりと見守っていきたいと思います。

コメント